今回の話は負け惜しみとかそういうのではありません。
釣りにおいては、【準備の時間や仮説検証】、つまり過程が重要だという話です。
このことをしっかり言っておかないと、藤井は負け惜しみをマガジンで言っている人とか言われそうなので初めに言いました。
僕の中では【結果】と同じぐらい【釣りに行く前の準備や仮説】に時間をかけています。
だって、結果だけの魚って記憶からすぐにいなくなるじゃないですか。
釣りには過程と結果がある
あなたには追い求めている魚がいますか?
僕の釣りは、ブラックバスに熱中しその後にシーバス、ロックゲーム、マグロ、GT、アマゴとたくさんの魚に熱中してきました。
また一部の魚は、現在進行形で熱中しています。
僕はどの魚でも釣りに行く前に事前にできるだけの情報を集めます。
また、その事前情報などから仮説を作り頭の中でイメージしてから、釣りに行くようにしています。
それは小学生のときから変わりません。
当時はそんな仮説なんていう仰々しい感じではありませんでしたが、どこに釣りに行こうかとか、どんな釣りをしようかとか学校でワクワクしながら過ごしていた記憶があります。
この仮説は、検証するタイミングが少ない魚ほど考える時間が長いです。
例えば、アカメやビワコオオナマズ、GTなんかがまさにそれに当てはまり、釣行の1ヶ月以上前から準備が楽しくなります。
この辺の魚って移動だったり季節の問題でそう簡単に毎週のように釣りにいけるものではありません。
結果、より時間をかけて考えてしまうんですよね。
釣りにおいては、この準備の時間こそ重要なものだと思います。
『ラインの太さは大丈夫か』とか『持っていくルアーはこれでいいのか』、『当日狙う水深や時間』、『ルアーカラーのローテーション』なんかを天気やタイドグラフなどの情報と照らし合わせながら考えます。
すべて想像の世界なんですけど、
この時間ってめちゃくちゃ楽しくないですか?
感覚的には遠足に似ています。
遠足の最中ももちろん楽しい、ただ準備している時間ってそれと同じくらい楽しい。
遠足当日を1日としたら準備している期間は3日とかになります。
もちろん3日かけて準備をしているわけではなく、3日かけて当日を想像しワクワクしています。
なんなら1週間前から遠足が待ち遠しいときだってあったかもしれない。
遠足は1日でも、遠足のことを考えているのは1週間以上。
この準備期間が長いほど、当日の印象って記憶に残るんです。
釣りも全く同じでその魚のことを考えているときにすでに楽しく、仮説を何個も立てて釣りにいく準備をします。
当日、その仮説通りに釣れたらめちゃくちゃ嬉しい。
自分のイメージと重なったわけですから。
準備期間が少ない状態で釣れたときも、もちろん嬉しいです。
ただ、その嬉しさは準備期間の長さに比例して大きくなるものだと思っています。
釣った魚と釣れた魚
事前に釣るイメージをして自分の思い描いたように釣った魚と、釣りに行ったらなんか釣れてしまった魚。
僕は記憶に残るのは圧倒的に前者だと思っています。
例えば、アカジン(スジアラ)という魚がいます。
主に沖縄や鹿児島にいるこの魚は、一部の釣り人では憧れの対象魚です。
以前、宮古島に釣りに行ったときに遊びでジギングをしていたら、サクッと釣れてしまったことがあります。
そんなときのアカジンは嬉しさは特になく、こういう魚がいるんだなと知った程度でした。
その数年後に本格的にアカジンを狙いにいったことがあります。
その時は、狙い方(水深、潮流、レンジなど)やルアーバリエーション、カラーローテーションなどを意識し、タックルを5つ持ち込みました。
そのときに釣れたアカジンは今でも覚えています。
本当に嬉しかった。
初めて釣ったアカジンとは比較にならないほど嬉しい魚になりました。
ちなみに、その翌年にはトップで1本釣ることを目標にし、しっかりと1本のアカジンをトップで釣りました。
これらの準備期間や仮説検証は、苦労とは努力とかとは全く思っていません。
逆にワクワクしている時間なので、楽しくて仕方ない。
むしろ釣れなかったほうが仮説検証がたくさんできるので、良かったとすら思えます。
仮説と検証を繰り返して何度も挑戦し、たくさんの時間をかけて釣った魚って本当に嬉しいものじゃないですか。
釣りにおいて重要なのはこの仮説検証の過程でもあり、それこそ釣りの醍醐味だと思います。
過程の大きさは時間に比例する
この準備する期間=過程が長いと、なぜ釣ったときに嬉しいのか。
やはり、その魚について考える時間が長いと愛着も湧くし、何より楽しいからではないでしょうか。
常日頃からその魚のことだけを考える。
そんな幸せなことはないと思います。
そんな気持ちにさせてくれる釣りって趣味は最高の趣味だと思いませんか。
なんか恋愛の初期に似ているような気がしてきました。
恋愛も初めのうちは特に、何気ないときに相手のことを考えているかと思います。
ということは、僕は魚に恋をしているのかもしれない。
魚脳になっているのかもしれませんね。
アカメもビワコオオナマズも釣れていない
これだけ話した後に僕が言いたいことは、釣れなかったから幸せだということもあるということ。
僕はアカメは2年目、ビワコオオナマズは今年からはじめました。
どちらもまだ釣れていません。
何度も挑戦しているGTも小さいのは釣ったことがあるけど、GTと呼んでいい魚は釣ったことがありません。
仮説が間違っているのかもしれません、そもそも検証自体が少ないのも原因だと思います。
どちらにせよ、それらはまだ釣ったことはありません。
でもだからといって、やめようと思ったことはもちろんないし、知り合いが釣ったのを聞いても悔しくもありません。
『楽しみの時間がまた増えた』と思っています。
だって、フラッと誘われてサクッと釣れてしまった魚ってその時点で自分の中で価値が下がりませんか。
逆に思い入れも少なく、これらの魚を釣ってしまったら僕の中でその程度の魚と印象づいてしまうかもしれないのです。
初めてから何回かは、釣れなくていいとすら思ってしまう。
ちなみに、10年琵琶湖に通っていますが59cmまでは数多く釣ってきても、60upはまだ釣ったことがありません。
11年目に釣れた60upと釣り1年目でなぜか釣れた60up。
どっちが嬉しいでしょうか。
絶対に前者だとおもうなぁ。
そういうことで、僕のブラックバスの記録は8年以上琵琶湖に通って59.8cmです。
50upは数え切れないほど釣ってますが、60upないんですよね。
満足行く魚は1匹も釣っていない
思い返してみると、夢中になった魚は何一つ満足いく魚を釣っていないのかもしれません。
思い通りに釣れないから夢中になっていると言っていいのかもしれない。
釣れないおかげでこれからもワクワクできる時間あります。
その魚について考える時間があります。
あ、初めに言いましたが、負け惜しみではありませんよ。
僕の釣り人生は、これからも楽しめるわけです。
ちなみに僕が夢中になれる魚の条件に、大きさは関係ありません。
条件を改めて考えてみると、希少性や特殊性、難易度の高さと色んなことが思いつきますが、一番は魚体がキレイなことでしょうか。
美しいと思える魚を狙って釣りたい。
これが釣りにおける最大の魅力です。
日本だけでも、まだまだ狙ったことない魚がたくさんいます。
そんな魚のことを考えるだけで、みなさんもワクワクしますよね!!